2017年01月16日

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汉至唐墨迹

西汉34《“庚戍”简》庚戍旦,出坐西傳,日出時,三老未坐,食時歸舍。木簡……字を書くための短冊状の細長い木の板。竹簡。

高昌35《朱书任谦墓表》墓表……因其竖于墓前或墓道内,表彰死者,故称。延和十一年(612年)。トルファンで発見された。

唐代

36写本陆机《五等论》卷 手書きで複製された本や文書。時に、原本である正本(しょうほん)に対して、それを書き写したことを強調するためにも用いられる。陸機……文学者・政治家。書家としての作品「平復帖」(故宮蔵)は、現存する最古の有名書家による真跡とされる。

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37写本《文选序》残纸 文選……南北朝時代、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集。中国存最早的一部集。

38写本《蒙要》残

晋代《摩般若波・佛母品残卷》

北朝《大般涅槃经 迦叶菩萨品藏卷》

《大玄真一本际经卷》

《长行坊牒》

《虞候司及法曹司请料纸事牒》

《张奉先诉讼牒》

文天祥《草书谢昌元之座右辞卷》文天祥南宋の宰相。此卷草书为文氏1273年所书,时年38岁,座右辞。

孟頫《致景亮书札》书札[shū zhá]手紙。1254年−1322年)は、南宋から元にかけての政治家、文人。出自は宋の宗室で、南宋二代皇帝孝宗の弟の家系に当たる。1286年に、元の世祖皇帝クビライに招かれて大都に行き、兵部郎中となったが、宋を滅ぼした元王朝に仕えたことは一族からも批判され、一族の縁を切った者さえいたという。元に仕えたことにより、後世の評判も芳しくない。王羲之の書風を学び、宋代の奔放な書風と一線を画し、後代に典型を提供した。

陈继儒《行书七言卷》

董其昌《行颀诗卷》書の精髄は魏晋にあり、王羲之の精神を受け継ぐべきであるべきとした。初唐の四大家である欧陽詢・虞世南・褚遂良・薛稷(せつしょく)らは形ばかりで神韻(人がら・詩文・書画など優れていて高尚なさま)がないとし、顔真卿・張旭・懐素らがその神韻を受け継いでいるとした。一方、文徴明らの呉派には批判的で、その先駆けとなる趙孟頫は形ばかりを真似て俗態であると斥けている。董は23歳のときに初めて山水画を試みた。山水は平淡天真であることを理想に掲げているが、このあたりに禅の影響がみられる。山水画は着色を用いず、水墨のみで描くことを提唱している。官位は南京礼部尚書にまで昇進、晩年は官僚生活を退き、郷里で没したと推定される。高級官僚であり、この高い官位が生前の書画における名声を引き上げたが、彼の芸術の真価は明末以降の中国書画壇に決定的な影響を及ぼした。書画の鑑識や評論の方面でも理論的な指導者であった。清の康煕帝が董の書を敬慕したことは有名。その影響で清朝において正統の書とされた。

贈張旭

張公性嗜酒,豁達無所營。皓首窮草隸,時稱太湖精。露頂據胡床,長叫三五聲。興來灑素壁,揮筆如流星。下舍風蕭條,寒草滿庭。問家何所有,生事但浮萍。左手持蟹螯,右手執丹經。瞪目視霄漢,不知醉與醒。諸賓方且坐,旭日臨東城。荷葉裹江魚,白甌貯香粳。微祿心不屑,放情於八。時人不識者,即是安期生。

吴宽《行书游西山记卷》

祝允明《草书七绝三首诗卷》生まれつき六つ指。狂草体が得意。酒と女と賭け事が好きで、奇行で有名。

明《楷七言律卷》三絶明代四大家(絵画)。唐寅は「傍にいるだけで心が洗われる」と述懐。

王守仁《行书王守仁札卷》

徐霖《草书五律扇面》

周天球《行书七绝诗页》

文震亨《行书五律诗页》

邢侗《临米芾书轴》けいとう。文人。最も二王を宗とした書で名高く、董其昌とともに「北邢南董」、張瑞図、米万鍾を加えて「邢張米董」と称された。現存する絵はない。

张瑞图《行书碧云寺诗轴》横画を反らせて、転折では反転させてたたみ掛けるように運筆し、その勢いに乗って連綿する。

黄道周《行书七言卷》忠臣。楷行草をともによくし、楷書は鍾繇風の小楷。長条幅の連綿行草を得意とし、二王の真髄を得ていると評された。

倪元璐《行书七绝诗轴》書は行草にすぐれ、特に長条幅の連綿書に新機軸を打ちだした。山水画は倪瓚に倣う平遠山水を得意とした。

王铎《草书临阁帖轴》書を学び始めたのは10歳前後で、13歳から『集王聖教序』に取り組んだ。二王の尺牘を中心に多数の臨書を残している。

赵宧光《篆书登鹳雀楼五绝诗轴》宧[yí]い。1559-1625,他兼文学家、文字学家、书论家于一身。

・明代末期に王鐸と共に書家として名をなしていた人で、時代が清に代わっても清王朝には仕えず、明王朝と運命を共にする道を選んだ倪元路、黄道周は、王鐸とは対照的に後世の人々から高い評価を受けている。

傅山《草篆塞上诗轴》若い頃から異常な才稟があり、一度目に映った文字は必ず暗唱したという。山水・墨竹を得意とし、隷書と金石の篆刻に通じていた。

傅山《草书韦苏州答李澣诗团扇面》

朱耷《行书临艺韫多材帖》[dā]  水墨花鳥画の形式を基本とし、花卉や山水、鳥や魚などを多く題材としつつ、伝統に固執しない大胆な描写を得意とした。だが、魚などの目を白眼で示す。白眼は、阮籍の故事に倣い中国では「拒絶」を表現するものとされる。そこから汲み取れるように、その作画の中には自らの出目であり滅び去った明朝への嘆きと、その眼に侵略者と映る清朝への、反抗が暗に表現されている。八大山人。60歳を過ぎてから本格的に画作に専念。水墨の小品に優れる。山水、花鳥、魚などを既成の様式にとらわれない特異な筆致。

查士标《行书五律扇面》書画家、詩人。鑑識にも精通した。

戴明说《行书五言律诗轴》

龚鼎孳《行书题画记》孳 [zī] きょうていじ。文学者。

玄烨《临董其昌书李白诗轴》康熙帝。げんよう。

弘历《行书七言律诗轴》乾隆帝。こうれき。

毛奇龄《行书七言诗轴》经学家、文学家。

何焯《行书五言古诗轴》焯、Zhuō。かしゃく。学者。

张照《楷书卷》清藏书家、书法家、戏曲家、书画目录整理者

刘墉《行书轴》中国,清代中期の書家。乾隆16(1751)の進士。編修,体仁閣大学士となった。経史百家に通じ,詩文をよくし,題跋に巧みであったが,とりわけ書法を得意にした。その書風は豊満で,筋骨を内に秘め,情味をたたえた格調の高いもの。漆のごとき濃墨を用いたため,濃墨宰相の称がある。

永瑆《楷书七言联》乾隆帝の第十一子。幼時から書に志し、帖学派の系統に属し、趙孟頫・董其昌風の秀潤な楷書・行書に秀れる。のち唐宋の諸家を臨模し、温健秀麗の作は当時極めて重んじられた。

祁寯藻《行书元遗山论诗绝句扇面》きしゅんそう。

钱维成《临王羲之蜀都帖扇面》

王鸣盛《行书梅花赋轴》清史学家、经学家、考据学家。

冯敏昌《行书临王献之帖轴》乾隆43年翰林、のち刑部主事となる。書は王羲之の蘭亭序を精習、その法を独学して行書を得意とし、また隷書もよくした。画は松・竹・蘭・花卉を得意とした。

獻之等再拜:不審壹海鹽二諸舍上下動靜,比復常憂之。姊告無他事。崇劉道士四鵝群並復歸也。獻之等當須向彼謝之。獻之等再拜

林则徐《行书游华山诗卷》清代の官吏。阿片禁煙論を唱え、鉄差大臣としてイギリスとの貿易問題解決に尽力、阿片戦争の際陸軍海軍最高責任者となる。洪秀全の乱の際、討伐軍司令官に任ぜられ進軍中に病歿。現代中国においては当時第一の愛国者として再評価されている。

曾国潘《行书七言联》政治家。太平天国の乱のときに義勇軍を組織して清朝を救い、初期の洋務運動を推進した。

王时敏《隶书七言律诗轴》清初六大家……清代初期の正統派文人画家を代表する6人。明朝滅亡後,郷里の江蘇太倉に隠居していた王時敏<おうじびん>は、同郷の友人王鑑を好伴侶とし,孫の王原祁(おうげんき),王鑑の発見した王翬<おうき>、王翬の同郷の友人呉歴,親友のツ寿平<うんじゅへい>とともに、地縁血縁の強固な間柄で結ばれた勢力を結集した。

郑簠《草书七言律诗轴》1622-1693 [fǔ]ていほ。書家。隷書は漢隷の神髄を得て隷書の妙味を表わしている。

朱彝尊《隶书謁台骀庙诗册》1629-1709 [yí] [yè] [tái]しゅいそん。文学者。

金农《隶书周日章传轴》揚州八怪。書は楷書と隷書に、前人にない装飾性をもった書風を創始。年代ごとに変容し、晩年に近づくにつれて縦長の結構で、細くて強い書風が完成する。

隷楷行草とも金石趣味を反映して、ゴシック体のような独特の書風を開拓した。

郑燮《隶书歌谣轴》郑板桥(16931765) 燮(xiè鄭燮・鄭板橋(ていしょう・ていはんきょう)揚州八怪。書は六分半書と自称する奇古体を能くし、画は墨蘭・墨竹を得意とした。

王澍《篆书豳风卷》豳 [bīn]ひん。書家,学者。翰林に入り戸科給事中、のち吏部員外郎となった。書は欧陽詢らを学んで厳格な楷書を得意とし、また草書は晋人を宗とした。臨,臨書にすぐれたものを残しており,いわゆる帖学派の先駆を成したと言える。書論家,古典研究家としても名高い。

阮元《行书七绝团扇面》政治家・学者。書論「北碑南帖論」「南北書派論」。

考証学の集大成者で,詁経精舎,学海堂を設立して学術を振興し,多くの学者を集めて書物の編纂事業を統督し,学界に貢献した。

包世臣《临苏轼等帖扇面》学者,書家。 軍事、経済を好んで研究し,生涯の大半を幕友として過し、郷兵の訓練,湖北・四川省の反乱の討伐などにあたった。

何绍基《行书四条屏》1799−1873年。1836年に進士に、翰林院編修や文淵閣校理などの職を歴任した。書は顔真卿を基礎として篆書と隷書の風格を併せもった書風を確立。篆刻も善くした。初めは顔真卿を学んだ。阮元の弟子となり、北碑や漢碑に傾倒して独自の書境を開いた。戦筆(ふるえる筆)を駆使した隷書、行書は高く評価され、著書もある。書は顔真卿を基礎として篆書と隷書の風格を併せもった書風を確立した。また篆刻も善くした。


赵之谦《行书六难扇面》書ははじめ顔真卿を学び、のち包世臣の逆入平出法を取り入れ、「北魏書」と呼ばれる豊麗豪快な書風を打ちたてた。篆刻では、あらゆる金石の効果を駆使した画期的な刻風をもつ。また花井画を能くし、呉昌碩・斉白石らに大きな影響を与えた。著書・印譜集は多数に上る。

大正時代以来、日本の書道界に与えた影響は大きく、作品も多く伝来している

杨岘《临爨龙碑颜扇面》 岘 [xiàn] 呉昌碩に師と仰がれ、趙之謙、呉大澂らとも交流があった。金石を好んで小学に精通し、詩文をよくした。書は隷書をもっとも得意とし、尺牘など行草書には独特の味わいがある。

翁同龢《至兰孙书札》政治家。官僚。光緒帝の師傅として帝の信任厚く,西太后派とは対立した。


康有为《至仲远书札》思想家、政治家、学者。改革は、清朝内に圧倒的勢力をもつ西太后や保守派官僚の反対にあい、戊戌政変クーデターにより挫折し、康は弟子の梁啓超とともに日本に亡命した。
posted by みどり at 10:04| 北京 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月04日

それってダメなんじゃ?

ダンナが家を買うと言った。

北京で「結婚していて、40歳以上で、家がない人」のために安く家を売るという政策ができたらしい。それを申請するというのだ。いやいや、アンタ、家はたくさんあるでしょう!

我が家は中国で家を買った。合法的な契約書はある。でも、「房産証」をとっていない。これは正式にこの不動産が私のですよという証明書だ。これとるのに3万元も払わないといけない。将来売るなら、必ず必要な証明書だ。中国に住む外国人にグリーンカードようなものがあるのだが、もし私が申請したければ、「房産証」は必要。

房産証」がないので、調べても、家があることは証明されないというのだ。えええ?「じゃあアトリエは?」と聞くと、「あれは農民の家だ。名義は自分ではない」という。一軒目はそうだよ。それは知っている。でも安かったから、すでに元はとれている。でも、今住んでいるのもそうだったのか。初めて知ったよ。

申請が通っても、家がもらえるまでに2年かかるという。場所はもちろん辺鄙なところにあるらしいが、そもそも要らないでしょ!

そして、さらにビックリすることには……。続きは会った人にだけ言うかな。恐ろしいわ。あの人。 
posted by みどり at 05:59| 北京 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月10日

波瀾万丈の人生(2)

 二人目のダンナと、三人目のダンナの間にそれぞれ一人ずつ子どもがいて、つまり二人の子どもがいる身だった。もう結婚に懲りているだろうと思っていた。私から見たら、彼女は男を見る目がないし、忍耐強さに欠ける。欠けすぎている。

 ダンナは自分の兄弟、親族のことをまったく話さないので、ばあさんが教えてくれなきゃ、私はまったく知らなった。

 ばあさん曰く、義妹はインターネットでアメリカ人と知り合って半年で結婚することになった。でも会ったことがないから、まずは会いに行くことに。ビザを取るのが大変なので、二人の子どもが留学ビザを取り、それに付いていった形。

 行って4カ月後に結婚。私がばあさんに「えええ?また結婚したんですか?もう離婚しないといいけど」。ばあさん、いけしゃあしゃあと「大丈夫。今回はビザという目的があるから」。いやいやいやいやいや、離婚はそれを乗り越えて、してしまうものなのだ。特にあの女は。

 新しいダンナはお金がないという(おいおい)。義妹は商売でかなり儲けたので、貯金はたくさんある上に、ばあさん並みの吝嗇家、あ、倹約家(同じか)。

 義妹が幸せかどうかは私はどーでもいいけど、うちの娘と同い年の長女は幸せなのかがとても気になっている。
posted by みどり at 08:31| 北京 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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